ABOUT

宮城県で野生動物の保護と命を守る文化を育てる活動をしているボランティア団体が作る石けんです。
環境にもやさしい天然素材の石けん
「手のひらから始まる自然保護」


【せっけんの持つ素朴な魅力】

原始時代、自然に生きる動物達と違い人類の祖先だけが前足の使い方は特に上手かった…。
やがて二足歩行への進化は、唯一人類だけが他とかけ離れた未来を手にするきっかけとなったようです。
発達した前足はいろんな使い方をするうちに、汚れたままでないほうが『便利だ…』と気づいたかどうかはわかりませんが、水辺で何かの拍子に体験することとなったのでしょう。人間の水の文化の始まりです。

“洗い流す”という行為は、この地上に人間がまだ少なかった頃、汚いものを遠ざけるための手段だったのでしょう。その行方がどうなったか…なんて誰も見たいとも思いませんでした。自分の前から消えて無くなれば良かったのです。
しかし、それは人間がまだ少なかった頃の話。今、地球上のどこに行っても人間のいないところはありません。
皆で汚れを一斉に散らかし始めたら、それでもどこかに消えて無くなるものなのでしょうか?

科学万能の意識につられて現在に至った結果、ようやく自然環境は循環していることに人々は気づかされるのです。誰かが捨てたはずのものが私達の周りに漂い始める。
日常吸い込む空気も、毎日口にする水も、その濃度の多少は違ってもサルだか人間だかわからなかった頃の原始人たちが触れていたものとは、もう既に違うのではないかと思います。

この国の安全性の基準に『薄いから大丈夫』という概念があります。知らず知らずのうちに、健康を損ない、被害者がたくさん出てから、その因果関係が明らかになるようなことをいくつも経験してきました。利便性だけを追い続ける人類のたどり着く先にあるもの…それが取り返しのつかないものでないように願うしかありません。

昔からのせっけんのように自然界で自然に生まれたものは、また簡単に自然に帰ります。自然界には汚れたものを食べてくれる微生物がたくさん棲んでいるからです。
一方、合成界面活性剤の中には、廃棄後自然分解されるのに30年くらいかかるものもあると聞きます。
下水処理場では化学的な処理ができるようになった今でも大半を生物濾過に頼っています。合成面活性剤は自然界にないもので、微生物たちは見たことも無いもの。浄化できたと言っても希釈されただけで海に流れ出すようなことがあったら…、なんだか怖いですね。

“生物濃縮”という言葉をご存知でしょうか? 餌でないから食べない…と言っても、分解されない化学物質は、容赦なく微生物たちの体内に入り込んでくるものです。浸透や呼吸、餌への付着…。 それは分解されず、やがて体内に蓄積されていきます。
汚染された微生物は、それを餌にする生物の体に汚染物質ごと吸収され、さらに大きい生物がそれを餌にする…。食物連鎖の仕組みの中では、分解されない物質はどんどん濃縮されて蓄積されて行き、その分海の中の汚染物質は徐々にではありますが、少なくなっていくのだと思われます。
しかし、食物連鎖の頂点に人間が居ることを忘れることはできないと思います。日本国民は、昔からタンパク源を海に求めていました。全く縁がないハズの化学物質を、知らず知らずのうちに食べてしまっているかも知れません。

現代の便利な生活様式は、排水口の向こう側を知る必要がありません。でも、ちょっと不安になって排水口を覗いてみたら、その向こう側には自分の口の中が見えるような気がします。
環境に守られていたのは過去の話。これからは逆に人間の方から自然に負担を掛けない生き方をしていかなければいけない時代が来ているのではないでしょうか?

洗って流し去るものに責任を持つ…。洗浄力だけならいくらでも手ごろで強力なものが手に入ります。そんなご時勢の中、大した洗浄力もなく合成洗剤に押されて一時は姿を消しかけたせっけんに何故か興味を惹かれ、コツコツ造り始めています。

歴史をたどってみると石けんの発見は意外に古く、紀元前3000年頃とされています。
もちろんロッキーの森で造っている石鹸はこの頃のものとは違いますが、18世紀〜19世紀頃に確立された古典的な製法で造っています。

温めた材料を桶に放り込んでただひたすらにカラカラかき混ぜるだけ…。一度覚えてしまえば、誰でも出来る作業です。(温度を下げない工夫と、根気強さだけが隠し味。)
ただし、5〜6時間もの間、休みなくカラカラ…を続けるのは辛抱が要ります。大量生産とは遥か縁遠い製法は、企業としてやるのには目もくれられない方法でした。

オリーブオイルの良質のモノは石臼で引くコールドプレス製法。食べるだけでなく、顔にもそのまま使えるそうです。せっかくオイルの質を損なわないために温度を上げない工夫をしてあるのなら、せっけんを造るのにもこれを踏まえたい。コールドプロセス製法にこだわる理由はここにあるのです。
昔の人はイイものを残してくれたのですが、生産効率の関係から今では忘れ去られたものが沢山あります。本当に余計なものを添加せず古典的な製法で造るやり方は、時代と共に姿を消してしまいました。

このせっけんは、決して八方美人ではありません。泡は立ちにくいし、柔らかくて溶けやすい。生ものですから長持ちしない…。
しかし、使ってみて初めてこのせっけんにしかない良さが分かって頂けると思います。実際自分で初めて手にしたときは、未体験の使い心地に小踊りしたものでした。
日々せっけんと向き合いながら、いつも心に留めていることがあります。
何よりも優先すべき、“環境に優しい”ことと、“健康を損なわない”こと…。この2点を満たすことが出来なければ、この古典的なせっけんにこれだけ思い入れを持つことはなかったかも知れません。

少しでも皆さんのお役に立てたなら…、そう思いながら、本当に良いものを造り上げて行きたいと願っております。